れーこの叫び                 

年の初め
 ためしとて・・・



明けまして おめでとうございます
といっても 
年が明けて もう10日もたってしまった
今朝 成人式のバイトにいって
振袖を着せてきたとこである

この日がすむと 肩の荷が下りる
やっと新年だなあ

今回の年末年始は
名古屋に単独で遅く帰るので
例によって例に倣い
たまりにたまった掃除を2~3日でかたずけつつ
成人式の練習をしつつ
年末集金をこなしつつ
学校の子どもたちの相手をしつつ
落ち着かない日々を過ごし

障子も張り直し
(ああ・もう)
お正月飾りを一夜飾りにならぬよう30日にして
(ああ・もう)
破魔矢・羽子板をだして
(ああ・もう)
お正月花を活けて
(ああ・もう)
カラスも拭き
(ああ・もう)
粗大ごみの整理をして
(ああ・もう)
どうして、私はこうもめんどくさい 性分なんだろう
ベつに誰にも やれと言われているわけではないのに
やらなくてもいいのに
そうゆう セレモニー的なものは
やらないと 気持ち悪いレーコである
それでも、この「れーこの叫び」で本音を書きまくったおかげか
じゅんじさんが いつもは 何もしないが
何をすればよろしいのでせうかと 聞いてくる
それじゃあ、やってもらいましょうと
あれこれそれどれと 言いつけまくったおかげで大分楽だった
書いてみるものである
いいつけるものである
それでも、ため息をつきながら拭き拭きする
どんだけ いやなんだと 思っていた
真相は 後で解るのだが

おせちも いつも買ってしまおうかと思うのに
セットを見ると、絶対食べないものが入っている
それに 食べるものは 数が足りない
捨てることができない 貧乏性のレーコは
結局 買い物に走り、ある程度は料理する
それも 紅白を聴きながら
いつこの定番から 逃れられるのだろうか

正月は正月で いつもの如く
昼近くまで 泥寝をして
ああ、今年もこれかと後悔し
今年こそ年賀状をなくしてしまおうと思うものの
元旦に配達された年賀状を見ると そんな勇気はなく
「ごねんね、皆さん、レーコは怠け者です」
と弁解をしながらせっせと年賀状を作成した


ひたすら お菓子を食べ 読書三昧をして テレビを見る
恒例でムスメに振袖をきせて 初詣に行く
なんて 自堕落で素敵な日々

金魚も新しい水槽にしてバタバタしなくなったし
じゅんじさんは これをピラニアというが
大きいことは いいことだ、いつか 鯉にしよう
やるぞ、金魚、望みを持つんだ


ああ、今日はごはん何にしよう
三が日すぎるとこれがあるからなあ
ああ、とろろの鉄板焼きにするか
残り物を全部 ぶちこんでしまえ
ありゃあ、そうゆう料理だ
黒豆だ~~って入れてしまえ
入れてしまえば 貧乏性がしみついた うちの家族は食べるだろう
だって いつまでも残ってるんだもん



焼いた



う~~ん、黒いぶつぶつが結構グロいなあ
しょうがないじゃんねえ
だって、黒豆なんだもん
実験、じッケン、だって新年なんだから

(題名はわざと「はじめは」にしてるのよ
いいまつがいじゃなくってよ)
「ごはん~~~」
2階からおりてくるじゅんじ、
鉄板焼きを見て絶句するじゅんじ
いやいや、新年早々の嫌がらせじゃないってば
あくまでも、思いつきで入れたんだってば
見た目グロくっても 旨いかもしんない!
新しいことは 発見だ!!
少なくとも 何かの
(いいことでも・悪いことでも)

結果

避難ゴーゴー、GOGO、轟々である

ああ、わかったよ
別に食べたほうがいいのは わかったよ
じゃあ、早く食べてくんない
今までテーブルにあっても食べなかったくせに

おせちの中で縁起ものだからと 2粒だけ食べたくせに
何を言いやがる 
いいじゃないか、少しくらい実験したって
実験から 君たちがありがたがって食べる
この鉄板焼きだって生まれたんだぞ
神のカニクリームコロッケだって実験のつもりでつくったんだぞ

それに 私の読みどうり みんな文句を言いながら
全部食べたし

目的完了,


のんびりの4日が過ぎれば
5日新年会幹事のため買い出し後番号付け(景品)、
後・仕事打ち合わせ、景品届
夜行バスで名古屋
6日名古屋実家で 掃除三昧、夜級友と飲み会、
7日も掃除三昧、後茶華道の先生に挨拶、
夜ライブハウスにに行き夜行バスに飛び乗る
8日お昼に振袖最終練習、夜お囃子新年会
9日着付け準備の仕事
10日早朝から成人式着付け
ほ~~ら、超人並みの忙しさでしょう

緩急つけすぎだって


そんな中でもちょっとした事件

8日夜行バスで帰ったばかりの私が
じゅんじさんに名古屋での掃除の話をして
「そういえば、31日の掃除のとき、ため息をついてたよね
そんなに いやだったの?
^_^;
と からかうつもりで言ったら
「俺はためいきなんかついていない」と言い返してきた
「だって、ついてたもん」
「そんなこと 覚えていない」
「覚えていないのに なんでついていないといえるの}
「だって、俺は手伝おうと思って手伝ったんだから
いやいややったわけじゃない。だからため息が出るはずがない
息切れだ、息切れが出たんだ、出たって言うんなら」
「?????
ため息ってのは そう聞こえたから ため息であって
ついた側の思惑を考慮しなきゃならないの?」
「だってため息をついた側の意思だろう、
聞いた方がきめるの?勝手じゃない?」

・・・・・・

長くなるから要約しよう
それから れーことじゅんじは 
延々ため息の解釈を戦わせていたのである
ああ、そんな暇があるなら 寝ればいいのにレーコ
結局 れーこが
「ため息を聴いたとき
『もしもし、それは ため息ですかね、吐息ですかね、
それとも息切れですか深呼吸ですか』
と、いちいち聞かないでしょう。
掃除してて 吐息をつくとすりゃ変態だし。
だからとりあえず 
聞いた方が状況を考慮しつつ解釈の権利はあるんだと思う。
ため息をついた側が 実際別のものでも
『はあ』という音の息は 『ためいき』と俗に言われるので
息切れも疲れて出るため息のことじゃない」
と、いうことで 論破した

で、結局じゅんじさんが
なんでため息にそんなに突っかかったかというと
せっかくやった掃除が いやいややったみたいで
その言われようがいやだったそうだ
じゃあ、私の質問に 
「それは 誤解で、掃除はいやいやじゃない
でも疲れてためいきが でたんだろう」
と答えれば 済むのじゃないかとおもった

めんどくさい奴(ーー゛)

と、めんどくさい奴は外してその旨を述べると
あんたも思い込みが激しいじゃないかと、全然関係のないことをいう
???
私は思い込みは 激しくないと思うけど
むしろ 柔軟だぞ

わかった
もしかして じゅんじは ボキャブラ欠乏症
頭で 映像進行するから 言葉が貧困なのかも


新たな 疑惑がわいた 新年松の内であった
相変わらずの 二人でもある


じゅんじのボヤキを見る