れーこの叫び
ボヤキと叫びのバックナンバーから
名作をまとめて 本にしました
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食べ物を捨てる時

このごろ実家に介護帰省をしては家の整理をしてくる
レーコはギリギリまで物を買わない主義だが、
(これはビンボー根性とホントに貧乏とがさせることではあるが)
実家の母はモルモットみたいに物をため込んでいる
そしてストッカーなる立派な収納スペースに入ってほこりをかぶっている
それを整理しては、消費期限や賞味期限を見ると
恐るべき数字がそこにはある
10年前はざらにある
カビが生えた乾物も発掘した
それはちょっと躊躇して捨てる、しょうがないもん
もう山のように捨てた
冷蔵庫の中も、ストッカーの中も

ただ・・・
ただね・・・
袋物や密閉容器で未開封で乾物で何も異常が見つけられないと
これは食べられるのではないかと、思うのだ

思えば幼少のころ祖母に
何かというと「~じごくにおちるよ」と
抹香臭いことを言われ続けて育ったおかげで
半分本気で信じる勢いでその精神が刷り込まれている
紙を無駄に使えば紙地獄
水を無駄に使えば水地獄
食べ物を粗末にすれば食べ物地獄
それはなあにといえば、アリ地獄のような密閉空間で上からその物体がずーーーーっと落ち続けて来る
そこでそれに埋まってしまう
それがエンドレスで続く、というのだ
冷静に考えれば、死んでいるなら感覚がないじゃないかと思うとこだが
それをいっちゃキリストさんだって御釈迦さんだって、モハメッドだって困ってしまう
とにかくそれは子ども心にどーんとはいちゃったのだ

だから普段から食べ物を残すことはほとんどない
多めに出されてしまったら無理して食べる
またこれがたべれてしまうんだな、これが
レストランなどに行って他の人が残していればもったいなくて仕方がない
持ち帰り可能ならば持って帰りたいくらいだ


だからこりゃダメだろというものを捨てる時も「ああああああ」と思いながらすてる
異常ないものなどは
「なんで捨てなきゃいけないのか」が納得できないと捨てられないのだ
だから一応所沢に、検証してみようと持ち帰るのだ

要するに捨てると言う事は
食べた人の体に異常が出ると言う事
じゃあ、異常が出なきゃ日付が前でもいいんじゃね????
そんな精神でコーヒーやココアを見て考えれば
コーヒーはスーパードライ方式でサラサラしているし紙もぴっちり張ってある
ココアもカンカンでどこがどこからどう悪くなるのだ
誰か説明してほしい

こうなりゃ人体実験だ
まず開けてみる、色よし形よし、匂いよし
なめてみる、1日たつ、異常なし
1口試してみる、1日たつ、異常なし
何だいけるんじゃん
と、言うところでガンガン飲む、消費する
ああ、良かったこれで食べ物は報われたと自己満足する


まあ、こういったプロセスだ
だからじゅんじさんに古い持ち帰り物を食べろとも飲めともいわないのだがら
食べなきゃいいのだがね

大体言ってることが
古いから駄目じゃね、とか
ほこりをかぶってて気持ち悪い、とか
まあわからんでもないが、中身はどうかという事には
納得できる理由を一つも言わない

普段の消費期限や賞味期限だってあくまでもあれは目安であって
肝心なのは悪くなっているかどうかだろう
日づけよりもそのものがどうなっているかどうかを見るべきでしょ
腐った時の状態を大体知らないでしょ
カビの生えた状態を知らないでしょ
私は知っているわよ
観察したもん
生で食べるわけじゃないから調理方法を考えればいいんじゃないの


だからいつも私は自分がはんだんしてGOを出す


それにしても保存方は、進化したねえ
10年前でも平気とは
まあ、風味は落ちているだろうが

でも袋物ラーメンはダメだった
小麦粉類もダメだった

冷凍食品もどこまでいけるかを名古屋で開けて実際食べてみて検証中だ

さあ、コンビーフはどうだろ
缶詰だもんなあ、もつよなあ
開けてみるのが楽しみだ
10年前の少し錆なんかもある缶詰
あなたなら食べられますか?
まあ、まずは開けてみなくちゃね

こうなると文明の発展を私の腹が証明してるのよ
なんて壮大


いつか私が食あたりをしてほしいとじゅんじさんは思っているようだ
でも、わたしが平気で食べているものを食べて
じゅんじさんが平気な保証はどこにもない
だって個人で腹の処理能力は違うもん
だからきっと、じゅんじさんが先に当たるんだろう

やはり、自分の口の危機意識はじぶんでね

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