れーこの叫び
ボヤキと叫びのバックナンバーから
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春、芽吹き


4月になりました
春うらら、ひねもすひねもすのたりかな
のお、つもりでいたら
なぜいつまでも寒い、いつまでもコタツが必要なんだ
根性だせ、
☀太陽、いや修造
なんてことをつぶやいております

それでも庭の木たちは正直で、芽吹いてきました
今年は桃がなるかどうか、ブドウが何処まで広がるかが勝負のところ
嬉しいことに藤が復活
見守るれーこです


最近市民茶会があり、茶友達と一緒に行ってきました
普段、どこに隠れてたかと思うほどの盛況
でも、見渡すとれーこより年配の方々ばかり、後10年したら、茶道人口どうなるのかな
20年ブランクのち、気楽に月1で友達同士でやっている身では
偉そうなことは言えないが
日本の伝統と言いながら、茶道の嗜みがある人はどのくらいあるのかな
凄く少ないと思えるのだが
このまま、先細りになるのは惜しいなあ


大体、お金がかかりすぎるのだ
良心的な良心的な先生ならば凄くいいが、
当たる先生によってはお金がかかるだけで不快な思いも凄くする
また、流派によって所作が違い正解がない
それに、1つ1つメンドクサイ
と、いえば身も蓋もない


このなんでも簡単に早くが良いとされている現代
その所作は、やはり美しい
その美しさをただ眺めるだけでなく、自分もそうしたいと思う事が大事なんじゃないか
たとえ、普段どんなに粗野でも、だらけても、そうしたことができる
それを美しいと思う心が、今の人に無くなったものかなあ


私が続けているのはお遊びのお茶だから
誰が先生という事もなく・・・・と思っていたら、
経験者ももう所作を忘れたという
これじゃ何も始まらないから、私が教える
だから失敗も数多く
一度教えたことを訂正することも多い
また、お茶会の時、ホントはいけないのだけど、軸ものに自分の描いた字を揚げる
人様が頭を下げるものだから、自分の書を飾るのは不遜というが
それもとてもわかるのだが
お遊びの会では、自分がこんな字を描きましたよ、テーマはこれですよ
と、しても、それを不快に思うかたはいるかしら
気楽な会だからこそ、ないと思いたい
けれどそんな会だからこそ、謙虚さを持つべきか
いまだ迷い中である
床でその茶会のテーマを表現するのだから、
その手間に対して頭を下げ拝見するのであって、
偉い人が書いたから、お金がかかっているから、頭を下げるのではないと思う
それが写真でも、インターネットの画像でも、
頭を垂れてこのテーマを拝見すればよいのではないかなあ
ま、自作の物を床にするのは批判もあるだろうな
そこんとこ、もっと自由に考えて、楽しめればもっと広がるのではないかなあ

市民茶会の日は雨だったのでポリの着物で行った
だって公園の中で泥はねの嫌だし、お客さんだし、
大衆茶会だし、ってね
でもそれで次客は調子乗り過ぎだッたかなあ
だって、そこに座れというから
そして、調子に載って次客に座り、
案の定正客の方から、注意をいただいた
流派の違いからのものと、正客と亭主がお話しされていたから
遠慮して言葉をはっきり言わなかったのだが
それはね、とさりげなく
ううん、配慮したつもりだが、裏目に出てしまった
ダメだなあ


流派の違いは先生に聞くしかない
訊いたら、それはしょうがないと言われた
やはり、うちの流派はこうすればよいをしっかり頭に入れなさいとも言われた

単なる茶遊びが、凄い勉強になってきてしまった
でも名古屋の先生は実家を離れても、とても親身に面倒見て下さる
ただこの流派は志野流というマイナー流派(香道では超有名)
アマゾンで本が12000の値がついている
図書館にあればいいのに
今度国会図書館に調べに行こうかなと思っているれーこである
ああ、好奇心とどまらない春である
でも、楽しい

結論めんどくさいことは、楽しいのである